大坂城築城残石群

大坂城築城残石群俯瞰風景 大坂城築城残石群俯瞰風景
残石群A地区(一部)俯瞰写真

大坂城築城残石群は、江戸時代初期(1620年~1629年)に徳川家により再建された大坂城の石垣を切り出した丁場の遺跡です。
前島には全部でA~Dの4地区の存在が確認されています。石は、矢穴が一直線に入ったものや大割にしたもの、さらには整形して山から下ろす寸前のものまで様々あり、足を踏み入れると、まるで石工が最近まで作業していたかのような感覚を覚えます。
また、残石の中には刻印が刻まれたものがあり、これが大坂城の石垣に印されているものと同じであることから、松江藩堀尾家や鳥取藩池田家が前島の石切丁場に関わったことが分かります。
前島に残されている刻印は、A・C地区の分銅文、C地区の輪違い文(堀尾家)や、A地区の四角文、四角扇団文(池田家)などが確認されています。
※現在ご覧いただけるのは、A地区になります。他の地区は今後整備予定です。

大坂城再築の際に使われた石垣の石材産地分布

瀬戸内海においては、島嶼に集中していて前島もその中のひとつです。

石材産地
大坂城再築の際に使われた石垣の石材産地分布

※こちらのイラストでは代表的な産地を記しています。産地は、他にも複数確認されています。

前島で発見されている築城残石群

島内には、「岩くだし」「丁場」など石の切り出しに関わりがあると考えられる小字名が残っています。

前島で発見されている築城残石群位置図
前島で発見されている築城残石群

※現在ご覧いただけるのは、A地区になります。他の地区は今後整備予定です

A地区案内図

A地区の残石状況です。アルファベットは刻印の確認できる箇所です。

A地区案内図
前島で発見されている築城残石群
A
松江藩堀尾家分銅文
B
松江藩堀尾家分銅文
C
松江藩堀尾家分銅文
D
島根藩池田家四角扇団文
E
島根藩池田家四角文
F
松江藩堀尾家分銅文

※写真は説明用に刻印部分に薄く色(グレー)を付けています。

これまでの調査概要

1977年(第1次)の調査

前島に大坂城築城のために切り出されたと考えられる花崗岩が存在することを島民のS氏が明らかにしたことを契機に、1977年(昭和52年)、中村博司(大阪城天守閣)らにより最初の現地調査が実施された。

【調査結果概略】

  • 前島の東半分を占める東山で計4箇所の花崗岩の石切丁場遺跡(A~D地区)が確認された。
  • これらの丁場跡では、矢穴が刻み込まれた母岩や二つに大割りされた巨岩、直方体に小割りされた石材など、石材切り出しの各工程を示す石材数百個が散在していることが確認された。
  • C地区では、山頂から海岸部まで谷に沿って石を降ろした道が残存している。
  • A地区で分銅文の刻印石1個、C地区で分銅文8個、輪違い文7個の二種の刻印が確認された。この二種の刻印はいずれも現大阪城の石垣石に認められる刻印と同様のものである。
  • 島内には「岩くだし」「丁場」など石の切り出しに関わりがあると考えられる小字名が残る。

以上の結果から、前島の残石群は1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)まで行われた徳川期大坂城再築工事のために切り出され、なんらかの理由で放置されたことはほぼ確実とされた。また、大坂城では前島で確認された分銅文・輪違い文の刻印が松江藩主、堀尾忠晴の丁場で認められることから、前島での採石が堀尾家によって行われたことも明らかになった。前島の石切丁場の発見は、単に新たな石材産地を発見したのみでなく、それまでの石切丁場遺跡と比較して、石の切り出し工程の各段階が復元できる希有の遺跡であると評価された。

1997年(第2次)の調査

第1次調査から20年が経過した1977年(平成8年)、「建設文化としての大坂城石垣総合研究」の一環として、財団法人大阪市文化協会が中心となりA地区の現地調査が実施された。

【調査結果概略】

  • 石の切り出しは、東山の北斜面、標嵩100m付近に露出する岩盤を選んで行なっている。
  • 切り出しの際、周囲の土砂を掘削し、岩盤を露出させた可能性がある。
  • 標高90~95m付近に作業場(平場)を設け、石の整形を行なっている。
  • 切り出された石材は長さ170~200cm、幅70~100cmほどのものが多く、長さ300cmを越えるものはほとんどない。これは、母岩となる岩盤の性質に制約されたものと考えられる。
  • 鳥取藩池田家のものと思われる刻印石が新たに発見され、A地区には、松江藩と鳥取藩の異なる藩の石工が入っていたことが推定された。また、松江藩堀尾家の刻印石も新たに追加発見された。。

この調査の目的のひとつでもあった海岸部までの石の搬出経路の解明については、残念ながら確認されていない。ただ、この第2次調査に先立つ事前調査において、A地区の西に入り込んだ谷部で石を貼ったのではないかと考えられる痕跡が確認されており、第1次調査で示唆されているように、谷地形を利用して、石を滑らせた可能性が強いことが確認されている。しかし、谷にいたるまでの経路は、A地区の残石の広がりからみても、一つではなかったと考えられている。石の搬出経路や方法については、今後明らかにすべき課題として残されたままである。さらに、前島で石の切り出しが行なわれていた当時、石工職人やそれを監督する役人の居住地が島内に当然あったはずであり、それらの位置を確認するためには、島内の詳細な分布調査が必要であると結ばれている。

矢穴
母岩
刻印石